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蒸気ポンプ クルークィアス
ヅ・ハーレマアミァについての歴史と紹介をします。
ハーレマアミァ:ハーレマアは町をあらわし、ミァは、湖を意味します。つまり、ハーレムの湖ということです。
1350年、危険な湖というか、海が、2つありました。ズィダズィーと、ハーレマアミァです。そのハーレマアミァは、ハーレム、ライデン、そしてアムステルダムの町の間にある非常に危険な湖でした。
ハーレマアミァのニックネームは、ウォーターウルフでした。多くの村々、村人達を飲み込むということで…。なん世紀もかけて、その湖はどんどん大きくなりました。多くの船がこの湖の東の部分で遭難しました。この部分は、ウォーターウルフの穴、船の墓場として知られています。オランダ語で船は、schip。穴は、hol。現在では、過去に船の墓場となっていたところは、中心となる空港、スキポール空港になっています。
ウォーターウルフは、とても危険になってきました。そこで、湖をなくしていく計画を立てました。1641年、Jan
A. Leeghwaterは、ハーレマアミァボウクという本を書きました。彼の計画は、166の風車を建て、ポンプで水を吸い上げ、ハーレマアミァから排水することでした。しかしながら、この計画は実行されませんでした。
1645年、ハーレマアミァは15,030ヘクタールもの場所を占めていました。1740年、それは16,540ヘクタールになり、19世紀の始まりには18,539ヘクタールにもなりました。1836年、アムステルダムやライデンの通りにも水があふれるようになり、状況はますます危険になってきました。
ウィリアム1世国王は、ハーレマアミァをなくしていくことを決定しました。1845年、壮大な計画がはじまりました。まず最初の段階として、蒸気ポンプを使って水を排水するようにしました。3基の蒸気エンジンが備え付けられました。それらの1つがクルークィアスです。1934年には博物館となりましたが、それは、1852年、排水する仕事を終えるまで働き続けました。
ハーレマアミァが巨大な湖だったことからも、オランダが海面下であることをイメージすることはできるでしょう。私たちの中心となる空港、スキポール空港は、海面より6メートル下にあります。
ここ行く年かでこのクルークィアスの蒸気エンジンの建物は、修復されました。そのために、、博物館を取り囲む囲いをつけました。ところがそれがあまりきれいではなかったので、クルークィアスの管理者は、入り口の壁を飾ることにし、子どもの作品として作ることにしました。子供たちが壁に絵をかくようにしたのです。この素晴らしい修復の後、描かれた壁は保存されています。そして、それは、博物館の庭に置かれることになっています。
2001年、1月、元先生がヅ・ワヅン小学校を訪問し、その時にこの博物館を見学したいと話しました。博物館は閉まっていましたが、特別にその管理者が開けてくれました。元先生、その家族、そして私たちはこの博物館へ入れてもらうことができました。リネ先生は、博物館を回り歩いている間、日本の先生をテープに記録をとっていました。
このレポートは、Mahir K and Mahir U. によって制作されました。
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de Vries, Joan Goble and Hajime Yanase |